レイ・ブラッドベリ「華氏451度」読書会2022年12月

読書会概要
日時 2022年12月3日(土)19:00〜22:00
場所 東京都内 某居酒屋
参加者 団長 医務 書記
課題本 レイ・ブラッドベリ著 伊藤典夫
    『華氏451度』(ハヤカワ文庫)
課題本推薦者 書記

書誌情報
アメリカのデルレイ・ブックス(旧バランタイン・ブックス)から1953年10月に刊行(初版はオムニバス作品集)、その後、男性娯楽雑誌プレイボーイ1954年3月号から3回にわたって連載された。

レイ・ブラッドベリ
1920年イリノイ州生まれの小説家。1947年最初の短編集『黒いカーニバル』刊行。『華氏451度』の発表で幻想作家としての名声と評価を不動のものにした。2012年91歳で死去。

映画『華氏451』
フランスの映画監督フランソワ・トリュフォーが映画化、日本では1967年に公開。

内容紹介
焚書」をテーマにしたディストピア小説。舞台は近未来。
読書と漫画(と一部の告白書←暴露本)以外の本の所持が禁じられ、テレビやラジオによる感覚的娯楽によって人々の意識が統制された世界。
本がもたらす情報は有害とされ、社会の秩序と安寧が損なわれることを防ぐため、本の違法所持が発覚した場合は「ファイアマン」(「焚書官」訳書の中では「昇火士」)と呼ばれる機関が出動して焼却、所有者は逮捕される。さらに密告が奨励され、市民が相互監視する社会が形成されている。
結果、表面上穏やかな社会が築かれる一方で、人々は思考力と記憶力を失い、わずか数年前の出来事さえ曖昧な形でしか覚えることができない愚民になっている。
本編の主人公ガイ・モンターグはファイアマンの一員で、当初の仕事ぶりはきわめて模範的であるが、隣家の少女クラリス・マクレラン、出頭を拒み自ら家に火をつけて死ぬ老女、元英語教師のフェイバーなどとの出会いを経るなかで、やがて社会への疑問を抑えきれなくなる。

読書会経過

⑴「大衆」について

居酒屋の女:失礼いたしま〜す。生ビールと、チル*&ちゅ%$れ♪でござりま〜す。

団長:はい。

書記:(チル?)

居酒屋の女:失礼いたしま〜す。

電子音:ピコ、ピコ。

書記:……映画、見ました?(ピコン)

団長:見ました、むかし。

医務:見たんだ、どうでした?

団長:オープニングがよくて。やっぱり原作とは違ってて

居酒屋の女:すみません、唐揚げです!

書記:はーい。

団長:あの老女が焼かれるシーンとか、映画の中では特に取り上げられてたけど。見ててかぶったのが、ゴダールの『アルファビル』。両方SFで、似た部分がある。

書記:『アルファビル』はコンピュータですよね、制御が利かなくなる話。

団長:そう。まあ、その話はあとで。じゃあ、お願いします。

書記:はい、では今日は概要の方はちょっと飛ばして、本の中からいくつかシーンを抜きだしてあとで感想や意見などつのります。

残念ながら、半世紀前に捨てた書物をまた拾えばいいという単純な話ではない。いいかね、昇火士などほとんど必要ないのだよ。大衆そのものが自発的に、読むのをやめてしまったのだ。
 【フェーバー教授の言葉(本書146P)】

書記:この「大衆」について、現在社会のなかで何か思いあたる節があるかどうかお聞きしたいです。《大衆そのものが自発的に読むのをやめてしまった。》そうした傾向は現在の大衆にも言えるような気がします。

居酒屋の女:失礼いたしま〜す。マンゴーオレンジでございます。

医務:あ、はい。ありがとうございます。

団長:現在の人たちが本を読まないということですね。

書記:なぜ自発的に本を読むのをやめてしまったのか、この大衆は。

医務:スピードが早くなってる。たんに本を読む時間がないのと、あらすじがぜんぶわかる動画とかあるじゃない? だから本を読まなくても結論や結末がわかって、それで満足してしまう。

居酒屋の男:お待たせしました! シーザーサラダのお客様……

団長:すみません。

書記:本を読まずとも本の内容がわかる手段があるからあえて読書はしないということ。

医務:本の内容を理解、理解というのではないにせよ知ることができる。

団長:本の対立概念として、(本書では)「ラウンジ」という疑似的な家族がお喋りする壁が大衆文化の象徴として出てきてて、それを聞いていればいいんだという文化になってる。さっき医務さんが言ってたスピードが早くなってるという話と関わって、テレビ文化が念頭にあるのかな。衝突は起こらず楽しいという気分はあって、対話と反対のところに「大衆」は位置している。会話はするけども、誰と会話をするのかは気にしてないし、考えるというのもしないし、とにかく楽で楽しけりゃいいっていう。もう一つ(本書の中で)象徴的なのが「巻き貝」という耳にあてるよくわからないヘッドホンみたいな、他の雑音をシャットアウトするような装置が出てきてて、だから自分で聞きたいものだけ、楽なものだけ聞いてる、大衆もそういうものを求めている。昇火士というのも、そういう流れで出てきているという話ですね。

書記:選択肢が狭い。送られてくるものを受信するだけ。

団長:(本書では)大衆の代表はやっぱり「女性」なんですよね。

書記:奥さんとその友達。

団長:(「大衆」としての)男性はあまり出てこない。

書記:同僚くらいでしょうか。

団長フェミニストが怒る構図にはなってるんですよね、知識知恵、あるいは真理を受容するのは男性であって、真理から遠く離れたところでべちゃくちゃお喋りしてひたすら享楽するのが女性という構図が強くありますね。

医務クラリスはどういう存在なの?

団長クラリスは真理に近づいちゃったから物語から排除されちゃった、途中あっさりいなくなっちゃって、もう出てこなかったし、だから真理に近づく女性は必ず排除される、近づいていいのは男性だけっていう、そういう読み方ができちゃうかな。

⑵書物は重要かーーかつて本のなかにあったもの

書記:フェーバー教授はモンターグが求めるものを《本ではなく、かつて本のなかにあったもの》であると見抜きます。そしてモンターグの直観的な正しさを認めた上で彼の信念に必要な三つの事柄を教示します。

1.情報の本質と特性

こうした書物がなぜ重要なのか、おわかりかな? それは本質が秘められておるからだ。では、本質なることばはなにを意味するのか? わたしはそれぞれのものが持つ特性だと思っておる。
【フェーバー教授の言葉(139p)】

われわれは、花がたっぷりの雨と黒土によって育つのではなく、花が花を養分として生きようとする時代に生きておるのだよ。
【フェーバー教授の言葉(139p)】

2.余暇ーー「情報の本質と特性」を消化するための時間

本はちょっと待っていなさいといって閉じてしまえる。人は本にたいして神のようにふるまうことができる。しかし、テレビラウンジに一粒の種をまいて、その鉤爪にがっしりとつかまれてしまったら、身を引き裂いてそこから出ようとする者など、おるかね? テレビは人を望みどおりのかたちに育てあげてしまう! この世界とおなじくらい現実的な環境なのだよ。真実になり、真実として存在してしまう。本は分別をもって叩きのめすことができる。
【フェーバー教授の言葉(141p)】

3.最初の二つの相互作用から学んだことにもとづいて行動を起こすための正当な理由

これからどうすればいいんでしょう? 本はぼくらを助けてくれるんでしょうか?
【モンターグの言葉(142p)】

必要なものの三つめが手にはいりさえすれば。ひとつめは、最前いったとおり、情報の本質だ。二つめは、それを消化するための時間。そして三つめは、最初の二つの相互作用から学んだことにもとづいて行動を起こすための正当な理由だ。しかしながら、この老いぼれと、物事に幻滅した昇火士が、ゲームも終盤におよんだいま、なにほどのことができるのか、はなはだ疑問だな…
【フェーバー教授の言葉(142p)】

書記:書物が、情報の本質がなぜ重要なのかお聞きしたいです。ここ(本書)では明確には語られていませんが。

団長:月並みですが、「不在の問題」と関わってくると思う。「ここにない」ということが本の特権というか。結局なぜ本を燃やすかというと、ベイティー(モンターグの上司)もすごく博学で、本に浸っていた人間が最終的にたどりついたのが本を焼くという行為だった。要は本が、みずからを焼けと言っている。結局書物の文化の行きつく先が焚書なんですよね。物語自体がベイティーの語っていることを否定していないし、フェーバーはもう最初からベイティーは仲間かもしれないと言っているし、ファイアマンの論理は本が要請したものですよね、書物が重要だっていうのは、みずからを焼き尽くせという欲望と、後は結局、焼き尽くせないということ。

書記:話の筋を追っていくと、いま団長の発言とも関わるんですけど、本による本のための弁証法みたいなところがあって、まず「本は記録である」という考え方、で、その記録を「焚書」という形で否定する、最終的に「記録」は戦争によってか「焚書」によってかそのどちらでもいいんですがすべて消えてしまう、滅んでしまう、で、その先に「記憶」が現れる。最後の方で出てくるレジスタンスの人々は本という形じゃなくても本の中身をまた複製できるように頭のなかで覚えている。

団長:それは結局本を燃やすことと変わらない。

書記:そう、燃やすことは否定していない。燃やしてその先まで行っている。

団長:読んで覚えていればそれでいい、わりと単純な結末だったね。燃やすシーンというのが一番読んでいていきいきしてる。老女は自分が燃やされるのを待ってた、そのために生きてきたんだなと読めるような、老女との出会いによってモンターグもおかしくなったし、本を燃やす(記憶する)という自分がやってきたファイマンの仕事をもう一度やる堂々めぐりの構造があって、結局同じことをしてる。

書記:医務さんであればふだん仕事で看護記録つけてると思うんですけど、そうした記録って何のためにあるんでしょう。

医務:共有するためかしら、情報を。

書記:その共有するための機能を担うのはコンピューターですよね、紙ではなく。

医務iPhoneですね。みんなと話が似てるけど、なんで書物が重要なのかって、すごく単純だけど考える力とか、子供のころそうやって教育されたような気がする。考える力を身につけるとか、想像力とか、そういうものを。そうやって教わった気がする。

書記:それは、誰に教わりました?

医務:学校の先生かな。

書記:学校であれば、先生に限らずいろんなことに反抗したい時期にもあたると思うんですけど、そこだけは(本の力は)納得して、信じれてしまう不思議はありますね。

医務:同じ本でも受けとり方は違う、でもそれはお互いにそういう考え方もあるんだみたいな感じで、読書会もそうだけど、楽しい。

書記:余暇、情報を消化するための時間は持ててますか。

医務:考える時間はある。で、こういう読書会のようなことがあればさらに考えが深まる。でも考えるというより感じる、かな。感じなおす。

団長:夢中になっていると逆に考えてない。本だけじゃなくて生活ぜんぶ、楽しかったりとか夢中になっているとたいして考えてなくて、夢中になっているとどんどんそれを中心にしていくと考えなくなっていくというのはすごいある。

書記:たしかに、私も夢中で写真を撮っているときなんかはフォトグラフィー、写真術のことは考えないです。

医務:ちょっと落ちついたら考えるね。

書記:現場を離れてですね。で、三番目の「正当な理由」なんですけど、ちょっと難しいな。情報の本質とそれを消化する時間、それらの相互作用から学んだことにもとづいて行動を起こすための正当な理由について。

団長:まあでも、同じ話ですよね。情報の本質なんて夢中になること、夢中になることは燃やすこと。そこはみんな言わないようにしてて、一番言いそうになったのがベイティーだった。

⑶ベイティ隊長の講義

ハムレット』について世間で知られていることといえば、《古典を完全読破して時代に追いつこう》と謳った本にある一ページのダイジェストがせいぜいだ。わかるか? 保育園から大学へ、そしてまた保育園へ逆もどり。これが過去五世紀かそれ以上もつづいてる知性のパターンなんだ。
【ベイティー隊長の言葉(93p)】

要約、概要、短縮、抄録、省略だ。政治だって? 新聞記事は短い見出しの下に文章がたった二つ! しまいにはなにもかも空中分解だ! 出版社、中間業者、放送局の汲みとる力にきりきり舞いするうち、あらゆるよけいな込み入った考えは遠心分離機ではじきとばされてしまう!
【ベイティー隊長の言葉(93p)】

書記:「遠心分離機」っていう言葉が作中よく出てきますが、ベイティーだけじゃなくフェイバーも使用している箇所があって(P147)、これはいったい何を象徴していると思いますか?

団長:遠心分離機って、分子生物学に関係してますよね。科学の実験で使われる道具ですが、比喩でもよく使われてた時期があったと思います。

書記:この本が日本語訳に翻訳された時期でしょうか。

医務:遠心分離機は病院でも使われてます。病院の泌尿器科に勤めてたとき使ってて……ごめんなさい食事中に、尿をスピッツ(採尿容器)に入れてグーッと回して、それ思い出しちゃった。

書記:モノとして使われている場所が病院とか実験室とか類似性があって、面白いですね。

団長:なぜダイジェストがダメなのか……圧縮ですよね、ベイティーが批判しているのは、明示的に批判しているわけではないけど、本がなんで悪いかというと、対話によっていろんな立場の言葉が増殖してしまうからって言ってますよね、結局いろんな意見があると対立しちゃうから。だったらぜんぶ燃やして一つにして、そうした争いが生じないようにする、ダイジェストってそういうことですよね。圧縮して、この本はこう言っているんだと示す、中身を読んじゃうとこうも読めるああも読めるといろんな意見が出てきてしまう、なんだろう、バフチンのダイアローグが念頭にあったのかなとも思える。

書記:ベイティーは言ってますね。

むかし本を気に入った人びとは、数は少ないながら、ここ、そこ、どこにでもいた。みんなが違っていてもよかった。世の中は広々としていた。ところが、やがて世の中は、詮索する目、ぶつかりあう肘、ののしりあう口で込み合ってきた。人口は二倍、三倍、四倍に増えた。映画や、ラジオ、雑誌、本は、練り粉で作ったプディングみたいな大味なレベルにまで落ちた。わかるか?
【ベイティー隊長の言葉(92p)】

⑷その他・感想

団長:本を反逆の手段として印刷しようって、フェイバーが言ったのかな……え、反逆の手段が印刷かと、印刷すれば反逆になるのかな。たしかに時代を感じさせるというか、地下組織の抵抗の十八番じゃないですか、まあ自分たちの主張を印刷して配って、そういうのがまだ露骨に信じられてる、それはフェイバーだからそうなのか、モンターグだからなのか、わからないけど、だったらもうどんどん印刷していたらよさそうじゃないですか、地下組織に行ったらもう本が山積みされていたというような、そういう設定があってもよさそうな、でもないんですよね、最終的に行きつく先が本はいらなくて頭の中に入っていればいいっていう。それってでも本の否定だよなって。そのへんは違和感あって、やっぱり本はいらないんじゃんってところに行きつく。

医務:これはいい詩ですね、「ドーバー海岸」(マシュー・アーノルド作)。

団長:モンターグが読んでマダム(ミセス・フェルプス、妻ミルドレッドの友人)を泣かせた詩ですか。

医務:そう。

団長:詩は、わからなくて(笑)

医務:え?

団長:わからないんですよね、詩、読めないんだなあ俺、って、ほんとに(苦笑)。

医務:素敵な詩ですよ。

書記:結局、本の否定につながるということですけど、同時に、記憶力を持っている人しか活躍できない、エリート意識というか、その点で批判されるケースとしては、ありますよね。

団長:うん、そうなんですよ、悪しき知識人。

書記:この段階に留まっていたら、おそらく何も変わらないですね。

団長:最初の方で、奥さんのミルドレッドが大量に薬を飲んで、男が二人(救急オペレーター)きて、蛇が体の中から出てくるという、血液とか交換して、奥さんが次の日には中身がぜんぜん違った人になってる、外見は奥さんだけど中身はぜんぜん違う、物質として違ってる……蛇なんですよね、聖書をふまえているんですよ、リンゴを食べてダメになった、そのリンゴの木の下には蛇がいるという文脈、だからこれは人類のイメージですよね、聖書は後半の方で出てくるし、逃げた先で出会う人たちにも、聖書を読んで覚えていたらそれは評価される。それで、大衆と女性が重なるという部分にもつながる、中身は交換可能で、それでいいという。

書記:本を読まないとこうなるよ、という描かれ方。

団長:なぜそれじゃだめなの、というのはあまり示されてはいない。

書記:その一例としてのOD(オーバードーズ)、ミルドレッドの、いい悪いと一概には言えないけど。

団長:面白いと思ったのは、これ(物語内の)現時間が2022年以降なんですよね(※本書123pに「2022年」という年が節目の年として示される個所がある)、その時点ではもう消防車がなくてファイアマンが本を焼く、っていうね。1954年時点での近未来なんですよね、現在は。たしかに我々はもう本を持つよりスマホで読書をしてる、でもまあ、本は本なんだけども、うん。

書記トリュフォーの映画は最後までちゃんと見てないんですけど(※書記は現在、腰を据えて映画鑑賞する時間はほとんど持たず、パソコン作業などの傍ら画面の隅っこにアマゾンプライム等を立ちあげて「ながら見」をするのが主になっている)、電車の車内で人が指を使って自分の体のあちこちをしきりに触るシーンが最初の方にあって、それがいまスマホに没頭する人たちの姿に重なって見えたりして、妙に印象に残ってます。

電子音:ピコンッ!

医務:そういうのあるよね、昔の話だけど現在のことを予見してるふうに読めたり。

電子音:ピコ、ピコ……ピコ、ピコ、ピコピコピコ。

医務:私はこの(本書の)世界観が、なんだか中国みたいだな、と。みんな同じ考え、突出した考えだと排除されてしまうとか、それが中国の現在の社会のような感じがして。

書記共産主義

医務:そうそう。

団長アメリカって、やたら真理を求めるんだなって。こないだの『かもめのジョナサン』(リチャード・バック著、前回『イリュージョン』の会で話題に挙がった)もそうだったけど、やたら真理を求める。しかも大衆的な生活を否定する、ぜんぶがぜんぶそうではないけど。

書記:中空構造の日本人にとっては、ちょっと訝しいような。

団長:そう、理屈が前面に出てくる。

書記:中身に対する何か、コンプレックスじゃないけど、ありますね。

団長:うん、あと中枢が出てこない。打倒すべき政府とか、打倒すべき、はっきりとした権力者が、一人も出てこなくて、唯一ベイティーが出てきて、そのベイティーもじつは本当はすごく本が好きだったおっさんていうね。だから共産主義のイメージというか、党が出てくるわけでもないし、これがアメリカの共産主義のイメージなのか……要するにはっきりした権力者はいなくて、権力は警察的な動きをする犬(本書では「機械猟犬」)だったり、やっぱり犬が一番機動的で、ファイアマン以上に機動的で、ほとんどそれしか機能していない。ファイマンといってもモンターグとベイティーと同僚の二人、その四人しか出てきてなくて、他で活動している雰囲気もない。あと面白いと思ったのが、壁と話す生活様式、なんとなくまわりに家族がいるような雰囲気、そういうイメージって、長野まゆみという女性作家に『テレビジョン・シティ』(1993年)って作品があって、テレビの画面に囲まれた生活なんだけど、その外部にはどこまで行っても出れないという話なんだけど、そのへんのイメージともつながるし、こう、ぜんぶ視覚的に構築されていて、もうちょっと行くと『攻殻機動隊』の記憶までつながる、やっぱり話す壁に囲まれてるっていうイメージは、ここからかな。あとフェーバーが株で稼いで入手して、モンターグに渡そうとしたのが、拳銃じゃなくて、トランシーバーみたいな――

書記:通信機でしたね。

団長:おい通信機かよって。読んでいくと、ぱっと思いついたのが『銀河鉄道999』で、メーテルがいつも持ち歩いている旅行鞄にお父さんとつながる通信機みたいなものがあって、それでメーテルがお父さんとだけ話すようなシーンが作品の後半の方に出てくるんだけど、それが通信技術の初期のイメージで、本を中心にしたコミュニティのあり方を大事にすると言っておきながら電話より一歩進んだような通信技術、ほとんど携帯電話とかスマホに近いようなものを取りだしてきてものすごく違和感がありました。ありませんでした? そこで一気に近くなるような感覚。

書記:違和感というか、そこまで私は(本書から批判の矛先として揶揄されるような技術自体に対しては)悲観的にはなれないです。

団長:中世の魔女と知識のあり方とその系譜と、20世紀以降の通信技術と本との関係の系譜と、平行してここ(本書)にあるから、ちぐはぐな感じはするけど、面白いところではありますね。本は読んでいると、どこまで行っても一つの意見にまとまることはない。『パピエ・マシン』を書いたデリダは、コミュニケーションは終わらないということを言ってたわけで、印刷技術というか、本はつねに印刷されるわけだけども、コミュニケーションはそこでもおこなわれていて、永久に終わりはないと。

書記デリダはコミュニケーションに肯定的でしたか?

団長:両義的でしたよね。『火ここになき灰』という本はアウシュビッツを念頭に書かれたものでしたけど、「灰」というのが、かつてあったと実在を強く主張すると同時に、いまはないと、デリダの場合は不在を強調したかったんだろうけど、不在と実在が同時に「灰」を通してあらわれるというね、それが『華氏451度』の作品のテーマにもかぶって読めます。

書記デリダのその本(『火ここになき灰』)は文庫で読めますか? ちくまとかで。

団長:あれはちくまじゃなくて、いや、文庫にはなってないですね。白と黒の本で、細長くて、ぜんぜん厚くないですよ。100ページあるか、ないか――

居酒屋の女:失礼いたしま~す、湯葉チップスになりま~す。こちらお下げしてもよろしいですか?

書記:お願いします。

居酒屋の女:かしこまりました~。

医務:飲み物なにか頼みます?

団長:う~ん、ビールしか頼むものないな。

電子音:ピコ。

医務:いいですか、もう頼まなくて。

書記:コーヒーほしいです。ビールもう飽きちゃった。

医務:コーヒーは、ないです、ここ居酒屋。

電子音:ピコンッ!

団長:あ、間違えた。あれ、二つ頼んじゃったかな俺。

⑸現代の焚書

書記サルマン・ラシュディの『悪魔の詩』はご存知ですか? 現実世界の「焚書」のような出来事に関わってるんですけど。

医務:『悪魔の詩』ねえ、買えないよ、一冊の値段が高くて。

団長悪魔の詩

医務ムハンマドを軽視したような内容だから、イスラム教の人々から批判されて。

書記:殺人事件が起きましたよね。

団長:へえ、知らない。

医務:最近だよね、作者が襲撃されたの。訳した教授がむかし殺されたでしょう。

書記:日本人ね。

団長:えー、殺されたの?

医務:そうそう、教えてた大学で。犯人は見つかってない。

[割愛]

団長:そういえば、ちょっと話はズレるけど、こないだ都立大の宮台真司が襲撃されたのが個人的にショックで。

医務:(宮台真司には)何か人から反感買うのようなことがあったんですか?

団長:そりゃもう。

書記:明確な動機が?

団長:だってあの人は戦略的に、というか自覚的に過激な発言をしてて、社会学者としては優秀で、メディアにもいっぱい出たし、オウム事件の際とか、90年代にオウムと女子高生に対して一番鋭く発言したのが宮台で、いまはYouTubeとかでやってるけど、宗教とかそのへんに関してはずばずば、挑発的な口調で言うからまあ、狙う人はいるだろうなと。

医務:こっちも犯人はまだ見つかってないね。

書記:なんで今なんだろう。

団長:そう、なんで今っていう、こないだの安倍元首相の襲撃もそうだけど、なぜ今か……そうか、でも今、そういう時期なんだろうな。変な形で出てくるんだな、二回続いてて、逆恨みっちゃ逆恨みなんだろうけど、微妙にズレてるし、そのズレ方が安倍と宮台の場合とで同じというか、的を外れてる。さっきの『悪魔の詩』の話と、どこまでつながるかはわからないけども。

医務:でも『華氏451度』は今というか、現在までを予見した内容でしたね……面白かった。

読書会総括・編集後記
閲覧して下さった方、誠にありがとうございました。閲覧して下さる方はもちろんですけども、当ブログを運営するにあたっては読書会参加者のご協力も大きく、毎回感謝しております。
今回課題本として『華氏451度』を推薦させていただいて、私自身、幼い頃は読書がとても苦手で、体を動かしている方が好きな子供時代を送ってきて、ある時期に切実な理由から活字の世界に足を踏み入れるようになって現在を迎えているわけですけども、言葉とは日々、毎時、毎分、毎秒、恐ろしく際どくて、デリケートなつきあい方を(選んでいるというよりは)強いられております。本書の中で、私が一番大事に感じるキャラクターは、主人公のガイ・モンターグやクラリス・マクレランなど魅力的な存在は多いですけども、個人的にはモンターグから「ミリー」と呼ばれる妻、ミルドレッドでした。ミルドレッドのようなキャラクターは、現実から移乗したときに物語の世界をあふれだすほど凡庸かもしれません。物語では、他に浦沢直樹の漫画『モンスター』に登場するエヴァ・ハイネマンというキャラクターを、ミルドレッドのそれに類似した、即(俗)物的と申せば甚だ安易にすぎるかもしれないイメージとして呼びこむことができます。エヴァ・ハイネマンは作中ではアルコール依存症ですが、正直、非常に魅力的な存在で、彼女をきちんと描ききったことが『モンスター』という漫画を偉大にしていると、私などは考えてしまいます、冗談ではなく。もし『華氏451度』に続きがあるとしたら、本の行方などよりもミルドレッドの生きざまに着目した物語であってほしいと願わずにはいられません。

[書記]

次回、読書会は来春の開催予定です。
課題本は田中兆子の短編小説集『私のことならほっといて』(新潮文庫)所収、「片脚」です。
推薦者は、団長です。
皆様、今年もありがとうございました。よい読書をお過ごし下さい。